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父の教え給いしこと

 私が中学1年生の時だったと思う。当時私は映画少年だった。映画館に通ってはチラシやポスターを貰ってきて、顔馴染になった映画館ではで入場させて貰ったりして。雑誌「スクリーン」「ロードショー」から読み始まってやがて「キネマ旬報」に移る、という当時の正統的な映画少年だったように思う。チラシの通信販売なんてものも楽しんでいた。そして何といっても映画を沢山観ていた!テレビで放映される映画を一日2本とか平気で観ていた。珠玉の映画からB級作品まで幅広く観ていた。そして地域の映画センターでは16ミリフィルムの上映会を企画するグループの立ち上げメンバーとして活動していたりもした。

 当時の私はちょっとマセた少年で、「映画?戦前のフランス映画、ジュリアン・ディヴィヴィエの作品がいいな。『旅路の果て』のルイ・ジューヴェ!目玉の演技がいいんだよなあ」などと、今思うとスノッブな(通ぶった)感じのことを周囲に話していたように記憶している。
 かと思えば一方では西部劇が好きで(好みはジョン・ウェイン→クリント・イーストウッド→リー・ヴァン・クリーフ…と変転したが)、ホウキを銃代わりにして同級生と教室で銃撃戦を行っていたりして。
 どちらが本当でどちらが嘘だったということではなかったと思う。単に映画が大好き!な少年であったのだ、私は。

 さて、基本的に「文芸映画好き」な私であったが、感激屋の父に薦められて当時流行の映画「E.T.」を観に行った事がある。「そんなの観たくないな」などと言いつつも、「無料で映画が観られるなら何でもいいか」と映画にしていた私は思い、出かけていったのだった。
 そして観終わった時、私は不覚にも感動していた。父に感想を聞かれ「よかった」と答えた。

 しかし…何日か経って冷静になってみると、その感想は私の中で変質してきたのだった。「何だかわからないけどよかったなあ」という鑑賞直後の感想が私の身体の中で分解されてきて、「冷静になってみると、単純なよくある話だったな。S.スピルバーグの確かな手腕とJ.ウィリアムズの巧みな音楽にしてやられてしまったのだな、俺は。」と思えてきた。ヒトと同じものを同じように喜んでいた自分が何故か恥ずかしいような気持ちになってきた。中学生だなあ…。
 そして父に言ってしまったのだ。「よく考えるとあまり面白くなかった」と。
 すると父は少し怒ったような顔をして、「自分の感想に責任を持て。一度言ったことを簡単に変えるな」と言うのだった。
 当時の私には全然響くところのない言葉だった。何を怒っているのか理解できなかった。自分が気に入った映画を、息子も最初は同じように気に入ったと言っておきながら後から撤回したのが単純に気に入らないのだな、この親父は、と思っただけだった。

 しかし時が経ち今となって、あの時父が教え給いし事がわかるようになってきた。自分の中で熟さないうちに意見を述べることが危険であること、一度自分の口から出た自分の意見には責任を持つこと。
 今こうして文字にしてみるとどうってことない警句に思える。しかし「少年期に聞いた警句が時を経て熟した」ものって、単に金言集とかでチラッと見るのよりずうっと重い。
 私がもし子を持ったら…。「その時点では理解されないかもしれないが、のちのちでも子の為になること」を諦めずに言い続けるようにしたいと思う。

 (2001.12.4)


コンピュータ・ウィルス

 ここ1週間くらいでBadtrans.Bというコンピュータ・ウィルスが200通程度届いている。実に迷惑な話だ。こういう馬鹿なものを作ってばら撒く人がいることがまず信じられない。愉快犯というが…随分と歪んだ愉快だね…。
 さて、一番悪いのはコンピュータ・ウィルス(以下ウィルス)の作者に決まっているけれど、「私のパソコンにはこないでしょ」などと根拠のない思い込みを持って何の対策もしていない人も実に困りものだ。
 私宛に来ている200通程度のウィルスは「悪いウィルス作者」から来たものではなく、このような「ウィルスに感染した一般の人」から来たものなのだ。つまりこの「ウィルスに感染した一般の人」は「無自覚なウィルスばら撒き」をしている「無自覚な攻撃者」になってしまっているのだ。
 今回のウィルスに関して言えば、このウィルスに(かか)ったコンピュータは下記のような動作をすることになる。

1.受信済みで未読のメールを探し、返信する。その際ウィルスを添付する。
2.ウィルスに罹ったコンピュータで最近閲覧したホームページに書かれていたメールアドレスに1同様のメールを送る。
3.ウィルスに罹ったコンピュータで打たれるキーボードの打鍵情報をウィルス作者宛にメールする。

 まず、1は友人知人に迷惑をかけることになる。3は自分の機密情報(パスワードなど)がウィルス作者に通知される恐ろしさがある。そして2が私などのホームページ作成者や、掲示板に書き込む際などにメールアドレスを書いた人に迷惑をかけるものとなる。

 インターネット・コミュニティに参加する人々は、コミュニティの一員として自覚と責任を持って行動してもらいたいと思う。メールソフトで受信作業をする度に「Re:」しかタイトルにないメールがズラッと並んでいるとゲソっとする…。

 (2001.12.3)


さよなら子供たち

 レンタルショップ「ツタヤ」のキャンペーンで「DVD、ビデオの1週間レンタル1本100円(但し4本まで)」というのがあったので、DVDを4本借りてきた。
 先週金曜日に仕事が一段落ついたので今週は映画ウィークと洒落こみたい。
 まず一本目、今日はルイ・マル監督が1987年に撮った「さよなら子供たち」を。
 この人の映画は、「地下鉄のザジ」(1960)、「プリティ・ベビー」(1978)を観たことがある。どちらも私には面白くなかった…。「地下鉄のエレベーター」(1958)、「鬼火」(1963)あたりを是非観たいと願っているのだけれどなかなか観ることができないでいる…そんな監督。

 感想。よかった。少年期を切り取ったものとして、まずよかった。私は少年期の記憶があまり残っていない…悲しいことに。だから少年期の記憶をしっかりと脳内に残していて、それを文なり映像なりに表すことができている作品に触れるとそれだけで感動してしまう。例えば向田邦子さんもその一人だ。彼女の短編の一つに、「子供の頃、夜、灯りを消して布団に入る。天井の木目が怪物の顔のように見えてきて…」といった表現があった。こういう文を読むと「ああ、そんな感じ、あったなあ…」と自分の記憶の奥底からも同じような感情を掘り起こすことができる。その感覚がジンワリと心地よい。
 この映画の中でも例えば主人公の少年ジュリアンがコンパスで手の甲を突いているあたり…少年の自傷癖をうまく表現しているように思った。私自身には自傷癖はなかったけれど、身の回りに沢山の(?)自傷癖少年はいた。中学の同級生I君やS君、K君…みんな鉛筆やコンパスで自傷していた。こういう事柄について、精神分析的な講釈は聞きたくない。ただ感じたい、共振したい。この映画における描写は、余計な説明を加えずに淡々としたものであったので、ジンワリとした共振を感じることができ、嬉しいものだった。
 そして勿論、映画の根底を流れるテーマである人種差別の不条理さについてもじっくりと考えさせられるものがあった。

メモ1:この映画は監督自身の少年期の体験を描いたものとのこと。
メモ2:淀川長治さんは「甘ったるかった」と述べている。世間一般には「優しいさよならおじさん」としか思われていない彼だけれど、さすがに厳しいね…。私も「甘ったるい」とは少し思ったが「甘ったるすぎる」とは思わなかったので、可としたいと思うのだが。

 (2001.12.2)

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I use "ルビふりマクロ".