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女性のための
雑誌掲載が二回続いたから、或いはダービースタリオン99にはまっているから、ってASCIIのマワシモノになったわけではないのだが。ASCIIが「女性のための無料インターネット接続サービス」とやらを始めたそうだ。6時から22時まで無料接続、アクセスポイントも全国28箇所だそうな。いいなあ。次は「男性のための〜」もよろしく。
(1999.11.30)
雑誌掲載
netmama(ASCII社)の連載「ムーミン谷で暮らしちゃお!」の秋号にて、拙サイト「トゥーヴェ・ヤンソンの世界」を紹介して戴いた。冬号にもちょこっと載せて戴いた。(←おお、載と戴ってホントに似てるね(笑))
連載は「自分のムーミン谷を探して」奮闘する御夫婦の話。夢を叶えてほしいな。
更に今日メールで、半年前に書いたソフト「複数バックアップ manybak.mac Ver1.11」の雑誌収録願いなるものが来た。テックウィンという雑誌(ASCII社)の2月号に収録させてくれ、とのこと。おお、自分が書いたプログラムがCD-ROMに入っちゃったりするのだろうか。感動だ。
しばらく更新してないソフトコーナーもちゃんとやらねばのお…。
(1999.11.29)
苗字!その3
今日、所要があって某銀行に電話した。係の方(女性)が大変親切に応対してくれた。感じよし。今後もこの銀行にお金を預けようなどと思ってみたりする。
さて、私の問合せの件は調査に時間がかかるそうで、改めてお電話下さるとのことになった。そこで彼女はこういったのだ。
「それでは後ほどお電話させて戴きます。越前屋が承りました。」
「はい、お待ちしております。どうぞよろしくお願いします。」と私。
あくまで冷静を装ったが内心は「おおおっ、こんな苗字もあったのかぁ!」という驚きが駆け巡っていた。日本の苗字のなんと奥深いことだろう。死ぬまでにあと何度この驚きを感じられるかな。楽しみだ楽しみだ。
しかしまあ…「越前屋」と言えば一般的に喚起されるイメージは、お代官に「のう、越前屋」とか「お主もワルよのお」とか言われながら、底に小判を敷き詰めた菓子折を差し出している姿だろう。その苗字で、小判ならぬお金を扱うお仕事に就かれている彼女、きっと御苦労も多いに違いない。しかし由緒正しい苗字なのでござんしょう。他事ながら、御苗字に誇りを持って頑張って下さいね、と申し上げたいでごんす。
(1999.11.26)
5キロ
最近腕時計が回って内側に来てしまうようになった。不便だなあ、とただ思っていたのだが、ふと思い立って体重計に乗ってみた。半年くらい量っていなかったのだが5キロ減っていた。おやまあ。
(1999.11.22)
ニュービートル
フォルクスワーゲンのニュービートルに試乗した。すんばらしい車だっ!
本体価格230万、諸費用とローン利子で併せて300万だというのに危うく判子を押しそうになった。はは。無理があるのにな。
昔のビートルの可愛らしさは残しつつも、ちょっと精悍な感じも加えた外観。隅々まで気が利いている諸装備。トルク重視の設計思想による快適な加速感。ヨーロッパ車ゆえの楽しめるエンジン音。あああああ、涎が出そうだった。ほしい、ほしいなぁ。。。ああ、どうしよう。買っちゃおうかなぁ……でも人生設計にも関わってくる数字だな、俺の場合。むむ〜〜ん。悩まし。
(1999.11.21)
ペンデレツキ=諏訪内
今日は演奏会に行ってきた。ペンデレツキ指揮、日本フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるペンデレツキ作曲「ヴァイオリン協奏曲第2番『メタモルフォーゼン』」の日本初演。ヴァイオリン独奏はわが麗しの諏訪内晶子様。
流石に人気の公演らしく、チケットはほとんどなく、やっと取れたのが最前列の下手はじ、という音響的には最悪の席。でもまあ諏訪内さんの(尊敬、いや崇敬してしまっているので、年下なのにさんづけしちゃうんだよなぁ(^^ゞ)入退場を間近に見られるから、その点いっか、なんて思ってたりして。
で、演奏。そんな不純な気持ちなんてどっかに飛んでしまって曲に惹きこまれてしまった。ペンデレツキ、ブラヴォー!そして諏訪内さんもブラヴァー!
いい曲だあ!こんないい曲の日本初演に立ち会えて、しかも指揮が作曲者本人で独奏が諏訪内さんだなんて勿体無いような僥倖だ。胸に刻んで大切にしとこうっと。
そして…私は見た。白鳥の水中での水かきを。
美しくて、ヴァイオリンでは世界の名手で、自伝を書けばそれがまた素敵な文で、「天は一体この人に幾つ才能を授けたら気が済むのかな。いいなあ。」って、羨んでいたけれど。やっぱり裏には凄まじい努力があることを知った。
退場していく真っ赤なドレスに身を包んだ諏訪内さんの左顎下にはヴァイオリンをはさんで長時間練習している人にできるという痣がはっきりと残っていた。「美人なのに勿体無い」なんて勿論思わなかった。ますます惚れこんでしまったなあ。
うーん、俺も頑張らなくちゃ!
いい藝術に触れるといつもそう思う、な。
(1999.11.19)
獅子座流星群
もう一年経つんだなぁ。去年の大火球はすごかったっけ。
昨夜は獅子座流星群の極大夜だった。去年は富士山まで出かけたけど今年はそこまでの根性は無く、でも近くの公園に行こうかなとは思っていた。しかし残念ながら空には雲、そして雨…。
今度来るのは33年後。自分は生きているかな。生きていても60を超えているなぁ。自慢の視力も落ちているかも。
(1999.11.17)
あしたのために打つべし!
タッチタイピングの練習ソフトって以前からあった。でも昔のはつまらなかったよね。画面にキーボードが出てきてそれを見ながら練習するなんてなかなか続くもんじゃない。
その流れを変えたのが「特打」。西部劇仕立てで、タッチタイプを速くすれば決闘に勝てるというもの。ゲーム感覚を加えて大ヒットになった画期的なソフトだった。
類似製品がそれに続くのは世の倣い。次に出たのが「タイピング奥義 北斗の拳 激打」。説明しなくてもわかると思うけど(笑)、「ア〜タタタタタタタ〜ッ」とかいいながらタイプするたび相手を倒すってもの。キャッチコピーが『お前はもう打てている』、ときたもんだ。
そして!ついにでたやっぱりでたかっ!「あしたのジョー タイピング泪橋 闘打」。キャッチコピーは『あしたのために打つべし!』。いやー、参ったよ旦那。「タイピング泪橋」ってなんだよ一体。ククク。
以上、どれもプレイしたことない「タッチタイピングソフトウォッチャー」の日記でした(笑)。
(1999.11.9)
天才
続けてスポーツの天才本を2冊読んだ。土日の旅行で、行きの新幹線に一冊、帰りの新幹線で一冊。
中田語録 中田英寿 言、小松成美 編著(文春文庫)
「武豊」の瞬間 島田明弘(集英社文庫)
2冊を読んでの感想は、やっぱり天才はみんな努力の天才なんだな、ってこと。
努力しない天才は、すぐに天才ではなくなってしまうだろう。この人たちは努力しつづけているから天才で在り続けている。素晴しいことだな。
惜しむらくは、小松さん、島田さんの筆が当人に対して腰が引けてること。二人とも本人に遠慮してる部分があるのが見え見えだ。幇間じゃないんだからさ。
そのせいで陰影のない平板な印象の本になっちゃってると思う。その点、残念。
この二人を描ききった作品の登場を心待ちにしたい。
(1999.11.8)
ちびまる子ちゃんランド
今日は静岡県清水市。ネット上で知り合ったkabeさん(静岡在住)に清水市を案内して戴いた。車で案内して戴いて、しかもすっかり御馳走になってしまった。本当にありがとうございました。
まず「エスパルス・ドリームプラザ」というところに連れていって戴いた。エスパルス関連の展示品なんかもあるけど、おいらのお目当ては「ちびまる子ちゃんランド」!楽しかったな。子供向けって感じであまり大人のさくらももこファン向けではなかったけど、充分楽しめました。まるちゃんちの茶の間に電話が置いてあって、それが鳴ったので取ってみたら、なんとたまちゃんからのお電話。「あ、まるちゃん!?たまえだけど。これから遊ばない?」なんて言われて嬉しくなっちゃいました。面白い趣向だったな。
ちびまる子ちゃんランドでの写真も公開してみる。
撮影・画像加工:kabeさん、特別出演:ぼのぼの、あらいぐまくん
そうそう、実際のともえ川を見られたのもなんか感動だったな。
「エスパルス・ドリーム・プラザ」にはすし博物館ってのもあって。これは横浜のラーメン博物館を意識したとかいう噂のもの。新鮮なネタで鮨が楽しめるってわけ。「まぐろづくし」を戴いた。うまい!うま〜〜〜い(^〜^)。トロからヅケから色んなまぐろが楽しめた。は〜、満腹満腹。
それから、次郎長のお墓を見学して、日本平から富士山を望み、美味しいハーブティーを戴いて帰ってきました。か〜、いい1日だった。kabeさん、ほんとにありがとうございました。東京に来られた際にはお返しさせて戴きます!
(1999.11.7)
木賃宿
今日は岐阜犬山・愛知名古屋で遊んだ。サーカスを見て、楽しくお酒を呑んだ。満足満足。
さていつもながらホテルの予約などしていない私。旅はいきあたりばったりが楽しいと、フィンランドでさえ毎日その日のホテルを電話帳で探していたくらいだから、名古屋行でホテルの予約をするはずもない。
「きょう〜のお〜やど〜は、ど〜こか〜いな〜」などと鼻歌を歌いつつ名古屋駅太閤通り口を出た。寂しい…なかなかに寂しいぞよ。反対側とは大違いだ。あとから聞くところによると、地元では「夜の太閤通り口は危ない」ということになっているそうだ。こりゃこりゃ。
で、探し当てたのがまさしく木賃宿という物件。一泊1800円、という。隣の方に普通のビジネスホテルもあったが、木賃宿に泊る方が楽しいに決まっとる。案内を乞うと、フロントのお姉さんは「部屋を見てから決めてね」とのたまう。部屋を拝見。なるほどすばらしい…四方ベニヤ貼りの三畳一間、硬貨投入式の14インチテレビと布団一組。勿論押入れもトイレも風呂もシャワーもない、きっちり三畳。これは牢獄よりすごいかも…ふふふ。
部屋を案内してくれたお姉さんはなおも聞く。
「こういうとこですけどいいんですか?」。
えーい、何を聞くかね、泊まらいでか!
どうも私のような若造はあまり泊まらない様で、心配してくれたようだ。
ま、寝てしまえば関係なかった。何事も無く寝て起きた。
ただ革靴は廊下でなく室内に置いたが。
(1999.11.6)
苗字!その2
3ヶ月ぶり、苗字ネタ第2弾。
今日、仕事上で目にした苗字。その名も「紫芝」さん。
さあなんと読むでしょう?
答はあぶりだしで。
→「ししば」さんだそうです。←
かっこいい苗字ですねえ!紫の芝、とは。
現代においては紫というと「田舎のヤンキー」的なイメージにされてしまうけれど、本来は紫は大変高貴な色。源氏物語にも紫の上が出てくるし。とても上品な色だと思います。いいなあ、紫芝。かっこいい。
(1999.11.5)
狂言「赤頭巾」「白雪姫」
今日は狂言を観てきた。東京水道橋の宝生(ほうしょう)能楽堂。
新作「赤頭巾」と「白雪姫」。言わずと知れた童話からの採話。狂言は室町時代のお話が主で全260〜70番と数が限られている。そんな状況での新しい試みとのこと。ペローもグリムもびっくりだ。
席は正面4列目でとてもよい席。じっくりと観ることができた。
赤頭巾は約30分。登場人物は赤頭巾、狼、婆、狩人。そして地謡が4人。
とてもわかりやすく、かと言って狂言らしさは失わず、非常に面白かった。客席には外国人の姿も多く、その人たちも大いに笑っていた。
地謡がまた魅力的。能・狂言って必ず笛太鼓があるものかと思っていたけれど、こういうシンプルな謡だけってのもあるんだな。 エンディングは童話とは違い、誰も死なない。このへんが日本的であり狂言的であるのではないだろうか。よい変更だと思う。
狼は赤頭巾が婆に持ってきたお酒を呑んで酔っ払い赤頭巾を取り逃がす。婆が連れてきた狩人は狼を討とうとするが、婆の風邪が伝染ってしまいくしゃみが止まらず討ち果たせない。赤頭巾と狼と狩人はみんな婆の風邪を伝染されてくしゃみをしながら追いかけっこ。そのまま揚幕に引っ込んでいく。最後に残った婆は「風邪はひとに伝染すのが一番とはこれまことじゃ」とかなんとか言って笑わせて、最後は狼を追いかけて「やるまいぞ、やるまいぞ」の追い込み留めとなる。
見事な作品だった。
白雪姫は約1時間。流石に長すぎてちょっと眠くなった。でもこちらもとても楽しいものだった。登場人物は白雪姫、女王、鏡持、傘持、鏡の精、隣国の王子、そして七人の小人(賢徳小人、延命小人、空吹小人、夷小人、武悪小人、登髭小人、小人)。それに笛、小鼓、大鼓、太鼓。
なんと言っても七人の小人が面白かったな。まずその面からして面白い。それぞれが有名な面を付けての賑やかな登場。賢徳、延命、空吹、夷、武悪、登髭、、と面の勉強になってしまった。
ディズニーアニメでの挿入歌「ハイホー、ハイホー」を思わせるような歌「ほーい、ほーい、はいさっさ、はいさっさ」で笑わせたり、ふざけた台詞で笑わせたりと愉快な演出。
留めは追い込み留め。七人の小人が愉快な振りとともに揚幕に去っていく。最後の一人が客に向かって手を振って大受け。拍手を受けての留めとなった。
正直言ってこんなに楽しめるとは思わなかった。ゆかいゆかいでござった。
(1999.11.4)
ペルシャ、ゾロアスター
私はペルシャ神話が好きだ。そしてまたゾロアスター教の教義にも非常に興味を持っている。ペルシャは国教をゾロアスター教としていた国。ゾロアスター教は拝火教という別名どおり、火を拝み、死体は高山に持っていって鳥葬にし、結婚は近親と行い、血族以外に布教はしないという宗教。二元論が特徴であり、善神アフラ・マズダ(自動車メーカーMAZDAは創業者が松田さんということとアフラ・マズダにあやかるという二つの意味でネイミングしたとか)と、悪神アーリマンのせめぎあいの中に人間が置かれているという構図になっている。
ゾロアスター教は大変歴史が古く、キリスト教やイスラム教にも多大な影響を及ぼしている(キリスト教の「最後の審判」などは好例であろう)。また、ドイツの哲学者ニーチェもゾロアスター教に惹かれ、「ツァラトゥストラはかく語りき」を書いている(ツァラトゥストラはゾロアスターのドイツ語読み)。
しかしその後ペルシャはイスラム化され、現在はイランという国名のイスラム共和国となっている。
さて私の悩みはペルシャ神話、ゾロアスター教に関する良書がなかなか手に入らないことだ。たまに見つけても単行本で結構値が張ったりする。そんななか、今年になって岩波文庫からフェルドゥスィー作、岡田恵美子訳「王書 -古代ペルシャの神話・伝説-」が刊行された。これは日本で言えば古事記のような書物。大変嬉しい刊行だ。ざっと一読。特に目新しい話はなかったけれど、とても読みやすくまとまっていて良書と言えよう。抄訳であるのが残念ではある。是非全訳で読んでみたいと願う。
この本の中でペルシャ=ゾロアスター教の思想をよく表しているなと思ったのが以下の一節。(P.68)
善も悪も永遠につづきはせぬのだから、良き思い出として善行を後の世にのこすがよかろう。現世に執着するな、という教えは我々日本人には遠い教えではなかろう。しかし「善も悪も永遠につづきはせぬ」というのは、なかなか強い印象を受ける言葉だ。
日本人の心情としては「この世は善も悪も入り混じったもの」という観念が一般的ではないかな?上掲の言葉に感じられる二元論の何と峻烈なこと。「善も永遠につづきはせぬ」って言われてみれば確かにそうだけど、うーん、ちょっとどっきり。
(1999.11.3)
はやりうた
最近巷に流行る唄あり。曰く「ぼくらの生まれてくるずっとずっと前にはもうアポロ11号は月に行ったって言うのに」、と。
…俺、アポロ11号の年に生まれたんですけど。がーん…。
歌ってる君、何歳だか知らんけど君の生まれるより10年は前じゃないと思うよ。「ずっとずっと前」はやめようよ〜(苦笑)。
(1999.11.2)
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I use "ルビふりマクロ".