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サーヴィスとは

---------------以下菅原文太兄哥調でお読み下さい--------------------

 わしゃあセゾンカードを利用しちょる。今日ふと気付いたんじゃが、クレディセゾンから来る封書の宛名はしっかりと「琢磨」の琢に一本斜め線が入っちょるんじゃ。エライっ!なかなかこれが出来んのじゃっ!これぞ「サーヴィス」じゃ。顧客の名前を大切にしちょる。感動じゃあ。一生メインカードにしちゃるけえのお。こういう何気ないところが大事じゃ。のお。

 (1999.8.31)


過去現在未来

私が今、自分のテーマだな、と考えていること。
それは「今を目一杯楽しむ」こと。

「過去の思いや約束に縛られた現在」や「未来を考え焦っている現在」ってよくない。こういう思考って自分をイライラさせるだけだから。
常に「今を目一杯楽しむ」現在にしたいと思う。
過去の反省をしないとか、未来に対する計画性を持たないってことではない。
自分の現在を愛せないってことほど悲しいことはない。過去の反省を踏まえ、未来を見据えつつ、何よりも現在を大事に一日一日精一杯生きたいと願っている。

 (1999.8.30)


辰吉粂二さん、丈一郎親子に教えてもらったこと

 ボクシングの辰吉丈一郎(ホントは丈に`が付く)選手が遂に最後の試合に臨む。29歳。本人は「過去の自分は今の自分には勝てない。俺は今が一番強い」と言っている。確かにテクニックは向上しているかもしれないけれど、スピードが鈍ってきているように思える。苦しい闘いになることだろう。
 彼は三度世界チャンピオンになり、三度その座を逐われた。三度も世界チャンピオンになった(つまり二度返り咲いた)日本人は過去、ガッツ輪島と辰吉だけ。その不撓不屈の魂が如何に稀有なことであるかがよくわかる。
 そして今、彼は四度目の世界一を目指して最後のリングに上がる。

 彼は父粂二さんの男手一つで育てられた。「世界一の男になれ」と、父は息子に自己流でボクシングを教えた。
 常識的に見て、辰吉の弱点はそのガードの甘さだろう。「攻撃では世界一なのに、あんなガラアキのガードで…勿体無さ過ぎる。ガードをちゃんとすればいいのに」という周りの声に辰吉は答える、「自分のスタイルで、辰吉のスタイルで世界を獲るのが俺のプライドなんだ」。そして、父粂二さんはインタヴュアーに対して誇らしげに答えている、「最初はワシが自己流で教えたった。そのあとジムでちゃんと色々教わったんじゃがの。あいつのガード、ありゃあワシが教えたったままじゃ」。
 現代の合理化社会の中でなんという前時代的な親子だ、そう言って嘲笑うことは簡単かもしれない。しかしそうではないだろう、その熱い魂こそが事を成し遂げたのだ。
 ガードが低く、頭から突っ込んでいくような辰吉の防御、確かに欠点だらけだ。でももし辰吉がセオリー通りガードを固めたとしたら、その時辰吉の世界一の攻撃もまた失われるのではないだろうか、私にはそう思えてならない。

 近代ボクシングの権化のようなまとまった完成されたスタイルを誇るタイ人チャンピオン、前時代的スタイルで猪突する日本人挑戦者。実に対照的な二人。さあ、そこに繰り広げられるのは奇蹟のドラマか、或いは大凡戦か…。そのどちらであっても…固唾を飲んで見守りたい。

 (1999.8.29)

 辰吉が7ラウンドでノックダウンを喰らう惨敗を喫し、引退を表明した。
 日本ボクシング協会から網膜剥離ゆえの引退を命じられても、ジムの会長から潮時だと促されても、ダダッ子と言われるほどに闘いに向かいつづけた男の幕切れだった。彼は「世間」に「もう駄目なのにみっともない」と言われる中で自分の闘う意志だけを大事にした。ルールさえも変えた彼の行動には賛否両論があった(私の気持ちの中でも賛否両論がある)。破天荒に生き抜いた彼のボクサー人生だった。

 彼がこの日着たガウンには父粂二さんの写真があしらわれていた。粂二さんは、息子がチャンピオンから三度陥落した昨年十二月の試合をテレビ観戦してから一ヶ月後の、今年一月に突然亡くなってしまったのだ。この試合を父に捧げる、そういう思いだったのだろう、ガウンの背中には粂二さんの遺影があり、その横には「父ちゃん」と書いてある。お世辞にもセンスがいいとは言えない。しかし、それを見て嗤うことはできない。この親子の絆とその血こそが、1990年代の日本ボクシング界を沸き立たせた世界一の男の原動力なのだから。

 試合を中継した日本テレビが前日の土曜日、辰吉と父粂二さんにスポットを当てた特別番組を放送した。その中でとても印象に残っている言葉をここに記したい。

小学校から帰ってきた丈一郎が尋ねる。
「父ちゃん、俺は馬鹿なんかなぁ?」
父、粂二さんが答える。
「おお、馬鹿じゃ。
じゃがの、お前はやる事をもっちょる(既に当時からボクシングを熱心にやっていた)。じゃから馬鹿にはならんかもしれん。
 な〜んもやらん、な〜んも努力せんような奴が馬鹿になるんじゃ。
 なんかを努力してやっちょれば馬鹿にはならん。」

 金言だ。
 みっともなく見えても、誰に何と言われようとも、自分の信じた「なんか」に向かって努力し続けること。その尊さを、父粂二さんの金言に、そしてそれを文字通りに実行し通した息子丈一郎に、教えてもらった。

 試合は7回の殆どが劣勢で打たれ続けただけとも言えるものだった。しかし、三回、五回のピンチ、そしてノックダウンをレフェリーに宣告された七回最後の場面でも彼は決して倒れなかった。意識も殆どなかったというのに。
 試合後に罵声はなかった。彼の人気ゆえではないだろう。そして同情でもないだろう。みんな、彼の「根性、努力、闘う魂」に感動したのだと思う。
 一見みっともなく見えたその中にこそ本当のかっこよさはあった。
 素晴しいボクシング、素晴しい生き様を、ありがとう。

 (1999.8.30)


カボチャ

寡聞にして初めて知ったこと。
カボチャの原産地はアメリカ大陸なんだけど、日本にはカンボジアから渡来したんだって。
で、カンボジアが訛ってカボチャと呼ぶんだとさ。確かな筋の話。
びっくりしたッス。そんな由来だとはなぁ。

 (1999.8.28)


マヨカレーII

今まで食べた食品の中で一番不味かったもの…それは「カレーヨーグルト」!
私の「食の遍歴」の中で燦然と輝く金字塔だ!
あの不味さは…食べた事のない人には決して想像できないくらい…。
当たり前だが、今はもう発売していない。
「新商品」は一度は食す、という性癖のある私としては「どうだ〜、羨ましいだろ〜。あの不味さはごく一握りの人間しか知らんはずじゃ〜」と胸を張りたいところだ。くくく。
「もったいないオバケ」世代の私なのに、スプーン一口しか食べずにゴミ箱行き。しかもその日一日中吐き気に悩まされたという逸品なのだ〜。

さてそんな私が、先日コンビニに行った折「むむむっ」と立ち止まった製品あり。
その名も「マヨカレーII」!
そそる…でも怖い…と思いつつ買いましたよ、ええ、買いましたとも。
第一パンの製品、120円。
菓子パンの具が「マヨネーズとカレーを和えたもの」という代物だ。
恐る恐る・・・・・・食べてみた。
な〜んだ。てえしたことねぇや。つまんねぇぜ。美味かぁねえけど、食えなかねえ。完食しちまったい。ちっ。
食えたんだから喜びゃあいいもんだが、それが…「サガ」ってもんですなぁ。いやはや。

それにつけても気になるのは「マヨカレー」の第一弾だ。どんな味だったんだろ。くっ…俺としたことが…食い逃したぜっ。

 (1999.8.25)


かたづけ

「貴方の荷物をダンボール一箱だけ残してあとは全て捨てなさい。そうしなければ貴方は死にます。」
そう言われたら…読んで下さっている貴方、貴方は何をダンボールに残しますか?

私は…どうするかな?
免許証、保険証、保険証券、財布、銀行通帳、服などの必要物。
思い出の写真を何葉か。思い出の品を幾品か。
大事なCDを20枚くらいは残したいかな。大事な本は10冊くらいにしておこう。
大事なデータをフロッピーなりMOなりに入れなきゃ。

結構そんなもんで大丈夫、なんじゃないかな。
「物持ちな俺って馬鹿みたい」って、かたづけをしていると思う。ああ、ほんと、馬鹿みたい。過去のどうでもいいような書類のきれっぱしなんかを、捨てるものと捨てないものに分別するなんてさ、殆ど未来には関係ないよなぁ、あほくさ。

「かたづけ」って辞書をひくと「片付け」って字があたっているけれど、「方をつける」って意味もある。この辺で過去の自分に方をつけて、残りの人生を前を向いて歩みたい。ダンボール一箱の持ち物だって生きていけるのだから。

 (1999.8.23)


長岡花火

 長岡花火には個人的な思い入れがある。
 花火ファンのはしくれとして長岡花火はずっと気になる存在だった。花火大国日本において五本の指からは決して外れないと言われる名物花火大会だ。
 昨年、念願叶ってようやく行く事になり、勇んで浴衣を鞄に詰めてレンタカーで数百キロ。直前のサービスエリアの張り紙で中止を知る…「悪天候のため順延」…。
 そして今年。雪辱を果たさんと有給休暇取得に燃えていたのだが、諸事情により断念。

 近くて遠い長岡花火…。

 その長岡花火について今日の讀賣新聞夕刊に記事あり。興味のある人にしか関係のないことだが、自分の為の備忘録を兼ねて全文引用する。そう、このスペースは自分のための自分によるスペースにするのだ。てへ。

【夕刊 讀賣新聞 1999年8月19日(読売新聞社)】
「話の港」欄

▽…国内有数の迫力で知られる新潟県長岡市の「長岡花火」が、フィンランドの首都ヘルシンキで来年1月1日午前0時に打ち上げられ、2000年の幕開けを飾ることになった。
▽…97年に長岡市で開かれた「日本フィンランド都市セミナー」に参加したヘルシンキ市長が長岡花火を知ったのがきっかけ。フィンランド湾に浮かぶ島から打ち上げられ、北欧の澄んだ夜空に大輪の花を咲かせる。
▽…長岡花火は今年6月に米国のフォートワースで打ち上げられ、ドイツのバンベルクからは来年の夏祭りへの引き合いがあるなど大人気。「花火を通して交流を深めたい」と市も支援の予定だ。
 ヘルシンキは、その美しさから「2000年ヨーロッパ文化都市」に指定された街だ。これは毎年指定されるものではないようだ。2000年という区切りの年にあたって、全ヨーロッパから選定されたのだから大変な名誉だろう。実際先日訪れたヘルシンキは本当に美しかった…。特に世界文化遺産「スオメンリンナ」がある島は楽園のようだった。
 その「2000年ヨーロッパ文化都市」の幕開けを我が日本の優秀なる花火師さんが飾ると言うのだ。豪気な話ではないか!

 ヘルシンキで長岡花火、と来たか!…ムムムムム…飛行機の2000年問題も気になる時期だが、私の心はこの記事に騒ぐのであった。うーむ。

 (1999.8.19)


北辰一刀流

 「めし屋のローテーション」って誰でもあると思う。気に入った店は3日にいっぺん行くとか、味が落ちたからローテーションから外す、とか。
 ローテーションを常に活性化させておくことは大事。いつ〜も同じものを食べていては人間としていかんね、やはり。
 というわけで、気が向いた日にふらっと知らない店に入ってみたりする。今日は会社の近くで今まで入った事の無い横丁にふらりと入ってみた。おお、あるある。蕎麦屋、トンカツ屋、鋤焼屋…。
 ん!!?なに!?その時ふと目にとまった石碑あり。

「北辰一刀流千葉周作先生
 玄武館道場跡
 神田お玉が池畔」

か〜、北辰一刀流!千葉周作!
ということは、この辺りを坂本龍馬が闊歩していたことになるではないか!!

 幕末。常に何かを孕んでいるかのような密度の濃い空気に満ちた江戸、そこを土佐浪士龍馬が大股で歩む。大志を抱いてギラギラとした目をして、しかし天性の明るさと大らかさを振りまきながら。
 …目に浮かぶようだ。
 江戸に出て、勝海舟を襲い逆に説破されて弟子入った龍馬、彼が剣を鈍らせない為に(というより剣が心から好きだったのかな)千葉周作道場に通ったことは有名な話だ。

 そうかあ。殺風景なビジネスマンの街としか思ってなかったけど、なんだやるじゃん神田、いい歴史持っとるわい。なんだか嬉しいな。

 あ、めし屋の話が…。空想の世界で頭は一杯。食べたトンカツの味は覚えていないのであった。はは。

(注:うろ覚え書きにつき間違いがありましても御勘弁)

 (1999.8.18)


エデンの東

 電車にて。母親と小学生の息子らしい二人連れの隣に立った。
「秋の葉っぱの原っぱ」
「そう、秋葉原(アキハバラ)。テレビとか安いのよ。電気屋さんが一杯あるの。」
「神様の田んぼ」
「そう、神田(カンダ)、ね。」

 秋の葉が一杯の野原、神の恵みである稔り溢れる田圃…。小学生の言葉を聞いていたら、今更ながらに、地名に篭められた豊かなイメージが喚起させられた。
 毎日通勤しているぼくには既に「音」でしかなくなっている地名たち。でも漢字って表意文字なんだったよなぁ…。

 かねがね思っていたのだけれど「知識を増やすこと」って本当によいことなんだろうか?
知識を増やす事で得る物も多いけど、失う物も多い。
 一字一字の漢字としてしか「秋葉原」を捉えられなかった小学生の頭に広がるイメージは、「電気街」等の知識や実際に買い物に行ってみたりする体験等によって失われるに違いない。

 知識を得るのと比例して悩みは増え、素直さは失われる…諸刃の剣…。

 子供の頃、アダムとイヴが何故楽園を逐われたのか分からなかった。知識を得て何が悪いんだろ?って。
 でも今はなんとなくわかるような気がする。
 ぼくらはみんなエデンの東に住んでいる。

 (1999.8.18)


苗字!

私の苗字なんか目じゃないぜっていうすごい苗字を見た…。
「纐纈」さん、だって!
いやあ初めて見た。さあなんと読むでしょう?
答はあぶりだしで。
「こけつ」さんだそうです。
「纐纈」って広辞苑で調べたら

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くくし‐もの【括し物・纐纈】
(→)「こうけち(纐纈)」に同じ。〈運歩色葉〉
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こう‐けち【纐纈・交纈】カウ‥
(コウケツとも) 飛鳥・奈良時代に行われた絞り染の名。
布帛を糸でくくって浸染しんぜんをする文様染めと
しては最古。纐纈染。〈和名抄12〉
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だそうだ。「飛鳥・奈良時代」「文様染めとしては最古」…
くはぁ、由緒正しそ〜〜。
参りました。

 (1999.8.17)

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