モルゴーアを支えて下さる皆様へ

2001/3/15 青木高志

日頃、モルゴーア・クァルテットを気にかけて頂き、ありがとうございます。
1992年末の初演奏会から始まり、2001年ついに念願のショスタコーヴィチ 弦楽四重奏曲全曲完奏を達成することができました。
「研究団体」のような形でスタートしたものの、にひら様はじめ多くの方々に支えられ、ひとつの「区切り」を迎えることが出来、感謝の気持ちで一杯です。
15曲の偉大な曲を弾くことができ、又その演奏を楽しみにして下さる方々がいて下さることは、私達演奏家にとって、大きな励みなのです。

そして、荒井、小野、藤森各氏、という素晴らしいメンバーと共に歩んできたこの約8年半は私にとってかけがえのない宝であり財産です。
この先もずっと、この「宝」を磨いていくつもりだったのですが、2001年3月をもってセカンド・ヴァイオリンの交代をさせて頂く事となりました。

・・・この決定を出すまで、相当悩みました。

まず、これだけじっくりと音楽と向き合って曲を作り合え、また歴史を共にしてきたメンバーに対して申し訳ない、ということ。
私が1年間ウィーンに留学していた時も、クァルテットの演奏会はやらず、私の帰国を待っていてくれました・・・。
しかし、ウィーンでの1年を終え、オーケストラ活動とモルゴーアの活動を再開してみると、それまでは思っていなかったような時間的な余裕の少なさが身にしみたのです。それは、もしかしたらウィーンのようなゆったりとした時間の流れに毒されてしまったからかもしれませんが。
もう少し「ゆとり」を持って音楽と接してみたいと考えるようになったのです。

次に、全く個人的なことなのですが、2000年12月に息子が生まれた、ということ。
もちろん、他のメンバーも子供と共に、演奏活動を両立させていらっしゃるのですから、個人的なわがままでしかありませんが、息子の成長をもう少ししっかりと見届けて やりたい、と思ったのです。

他にも迷う事柄は数多くあったのですが、第14回定期演奏会のための練習をしつつ、このことに関してメンバーと話し合っていったのです。
そして、結局下した決断は「メンバー交代」でした。
なんとかメンバーとして続けられるよう、いろいろな方法を模索してはみたのですが、奇しくもショスタコーヴィチ15曲全曲完奏という「区切り」の時でもあり、この時期を越えてしまうと、次のセカンド・ヴァイオリンの方にも申し訳ないのでは、ということも考え交代させて頂くことに決めたのです。
決定してから、2001年1月の定期演奏会、2月のJTアートホール、3月のトッパンホール・・・と連続して演奏会を持つことができましたが、その間もメンバーとは、変わらず充実した練習を行うことができました。
1月の定期で発表、ということも考えたのですが演奏会では演奏に浸って頂きたい、との思いから発表はひかえ、今こうして書かせて頂いている次第なのです。

次期セカンド・ヴァイオリン奏者は、東京シティ・フィルのコンサート・マスターを務める戸澤氏です。偶然にも彼と私は「アフィニス文化財団海外研修員」の同時期の留学生なのです。何か運命的なものを感じずにはおれません。

 2001年を迎え、新しい旅立ちを迎えるモルゴーア・クァルテットに新しい風が吹くことと思います。新生モルゴーアにも変わらぬご支援をよろしくお願い致します。

私はこれまでの間、素晴らしいメンバーと、そして熱い拍手で支えてくださる聴衆の 皆様に支えられ、モルゴーア・クァルテットのメンバーとして演奏できたことを、とても誇りに思っています。
モルゴーアの歴史の舞台からひとり去ることを、申し訳なく、又さびしくも思いますが、これまでの「財産」を大切に、この先も音楽と向き合っていくつもりでおります。

モルゴーアのメンバー、そして支えて下さった方々、本当にありがとうございました。
2001年 3月 15日

青木 高志



このメッセージは青木高志氏御本人より
「ファンの皆様への御挨拶」ということで戴き、
掲載のお申し出を受け、掲載したものです。
サイト運営者 仁衡琢磨

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