モルゴーアの魅力

2001/6/28

うまい、プラスアルファ
モルゴーアの演奏を聴いた事があるのなら、彼らが「うまい」のは既に当然、のことになります。彼らはプロ中のプロであり、ヴィルトゥオーゾなのですから、「うまい」ことは既に驚きではありません。彼らに「上手な弦楽四重奏団ですね」と言ったとしたらこれは既に誉め言葉ではない、と私は思うのです。彼らもそんなことを言われたら気を悪くするのではないかしらん。彼らは単なる「うまい弦楽四重奏団」などではないのです。
勿論、彼らの演奏を初めて聴いた時はその「うまさ」に唖然呆然としたものです。途轍もない人たちがいるものだ、と思いました。今でも「なんでこんなことができるんだ!」と驚きながら演奏を聴いていることも多々あります。
ただ、本稿において、私なりに「モルゴーアの魅力」についてまとめてみようと思う時、彼らの「うまさ」については既に自明のこととまず定義させて戴きたいのです。その上で、彼らの演奏が何故私を魅了するのか、それを「うまさ」を超えたところにある「なにか」「うまい、プラスアルファ」として考えてみたいと思います。
daemon
さて、彼らの「うまい、プラスアルファ」はなんだろう。人それぞれに色々とあると思います。私にとっては…彼らの演奏に漂うdaemonの雰囲気ということになります。彼らの演奏を聴いているとデモーニッシュな情動に駆られることがよくあります。デーモンと申しましても悪い意味でいう「悪魔」という意味ではありません。ギリシアにおけますダイモンの如く、神的なもの、鬼神のようなもの、権化、魔力、惹きつける、憑依する、鬼才…そんな言葉をここでは意味させるものとお考え下さい。
そしてこの彼らが感じさせてくれるデモーニッシュな衝動は、ショスタコーヴィチ、シュニトケ、リゲティなどデーモンを感じさせやすい曲において現れるだけではなくハイドンのAllegroでも、モーツァルトの緩徐楽章のメロディーにも現れるのです。4人が鬼のようになって「ゴリゴリ」と弾いている時に飛び出す気迫、緩やかな音楽の流れの中で彼らの完璧な和音あるいは完璧な不協和音が放つ光、4つの音源が絶妙なバランスを取るその事自体、ハルモニアの完全なる具現が思わせる音楽の奇蹟、それらが彼ら4人の周囲をdaemonとなって漂っていると思うのです。
彼らは日本有数の名手でありながら、「日本一練習する弦楽四重奏団」(荒井さん談)でもあるといいます。そんな激しく長い練習をする彼らだからこそ、彼らの演奏においては、4人の呼気が、そして4人の吸気が完全に一致したかのように見えるのです。それは正しく驚くべきことです。
エピローグ〜これまでも、これからも〜
「モルゴーアの魅力」について今はここまでとさせて戴きます。だって昼休みがもう終わりなんです…。
ここでエピローグということで、ちょっと。
先日第15回定期演奏会においてモルゴーアは第二期のスタートを切りました。聴いた人ひとりひとりに感想があります。私は私の感想についてのみ語ります。
彼らは今回も申し分なくうまかった!驚くべき熟練を示しました。しかし、私にはもうひとつ物足りなかったのです。彼らの演奏にdaemonをあまり感じなかったのです。
どうなんでしょう、「呼気と吸気まで一致しているかのような4人の塊、モルゴーア!」という私の定義からいきますと、やはりモルゴーアがモルゴーアたるには相当長い練習時間、演奏時間が必要になると思うのです。第一回の演奏会から「モルゴーアの『うまい、プラスアルファ』」が発揮されなかったとしても仕方ない、と私は思っています。
それに鑑賞は、鑑賞者の体調、精神状況、席など色んなことに左右されます。ですから、私は自分以外の人の感想は参考程度に考えます。そして私自身の感想も参考程度、と考えています。同じ演奏を違う体調、違う精神状況、違う席で聴いたら、まったく180度反対の感想を持つかもしれないものだ、と思っていますから。
ですから、私自身、自分の感想について深刻に考えているわけではありません。これまでもモルゴーアを聴き続けてきたようにこれからもモルゴーアを聴き続けます。
今回より、次回、次回より次々回…モルゴーアは進化、深化し続ける、と私は信じて止まないのです。
<了>

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